日々の選択、日々の愚痴 あ~なんで?

過去、現在、未来の3つの時代の私の選択を考察していきます。

副島隆彦氏への思い

副島隆彦という評論家は、本をいっぱい出している、大学入試の国語の問題文に絶対に取り上げられないような文章を書く人です。

私は大学在学中に、指導教官や同期や隣の研究室の学生から、

待ち行列の研究がそんなにイヤならさっさと副島隆彦のところへ行け!」

と言われていました。

なんでそんな極端な二択?私は独学でラフ集合理論を理解しているから、ラフ集合を研究してもいいわけです。

私は研究室で副島隆彦氏のことだけ話題にしたわけではありません。社会的影響力がほとんどない哲学者、永井均のことも話題にしましたし、当時出版されていたゲーム批評という雑誌も話題にしました。周りは、永井均の弟子になれとも言わなかったし、さっさとゲーム批評を出している出版社に就職してゲーム評論でも書いていろとも言いませんでした。だから、私の周りの発言は、偏っています。

副島隆彦の言っていることは、斬新に聞こえるかもしれませんが、高校の現代文とか世界史とか倫理とかの授業で、教師が雑談で喋っているようなことですね。専門家はとっくに知っています。

ペリーが浦賀に来航した時、日本に米国が開港を求めたのは、当時の米国がクジラをとりたかったからだ、というのは、私は小学生の時に学研の6年生の学習を読んで、そこに書いてあったので、知っていました。副島隆彦氏は、「日本では、私しか知らない、というと、怒られるかな。」と当時書いていましたが、怒るというより、読者をミスリードする書き方、やめたら、と思います。

副島隆彦の情報ソースのひとつは、図書館に入っている子ども向けの本です。学研の学習マンガとか学研の学習図鑑とかでしょうね。電気自動車は昔からあった、と以前有料版の今日のぼやきに書いていましたが、学研の学習図鑑の機械とか自動車の図鑑に、それ、載っています。子ども向けの本は、大学に行って初めて習うようなこともけっこう書いているので、侮りがたいのです。

副島隆彦の業績の自然法と人定法の対立図式を読んで、当時の私は大変納得して、政治思想や法哲学をもっと学ぶ気が失せました。同期は「本当は政治思想がしたかったか!」とつぶやきましたが、そんなことはありません。

待ち行列理論はとても有益で意義深い理論ですが、私の研究は間違いだらけでした。私はあまり頭がよくないけれども、自分の研究がまともか間違いだらけかくらいはわかります。間違いを含めたまま研究を完成させようとして、どツボにハマってました。間違っているところは削ればいい、という簡単なことがなかなかできないほど、私は頭が固かったです。

自立型人材と依存型人材

依存型人材は、上司の指示を確認せず、とりあえずやってしまって、あとから
「だってあの時言ってくれなかったじゃない」
と文句を言う、などがそうです。
自立型人材は、自分で自律的に判断ができ、周りと成熟した依存関係を結べます。

似たフレームワークに、自責型人材と他責型人材という対立図式がありますね。これは、自立と依存とは、ちがうものです。自分が雨男だから自分を責める、というナンセンスな推論を誘発しかねない。

月刊誌バレーボールを手に取って

私はハイキュー!!というマンガが好きなことは以前書いたかと思います。高校の青春が詰まっていて、高校時代文化部だった私は、青春をやり直している感覚が味わえます。ハイキュー熱が高じて、普通のリアルバレーボールってどんなものかと、川崎市中原図書館に置いてある月刊誌のバレーボールを手に取ってみました。春高バレーの特集記事が載ってます。

今年は春高バレーは京都の洛南高校が優勝したことを知りました。

スパイクのフォームで、膝下を90度に曲げるのは、かなり怖い。バネを利かすのも大変ですね。