日々の選択、日々の愚痴 あ~なんで?

過去、現在、未来の3つの時代の私の選択を考察していきます。

高校の倫理の教科書は素晴らしい

大陸合理論の流れで紹介されているスピノザの記述は、

彼は人間の幸福は「永遠の相の下に」理性に基づいて神の必然の法則を認識することにあるとした。

とあり、副島隆彦氏の好きなことば「永遠の相の下」が出てきます。教科書の発行年度は1994年で、副島隆彦氏の覇権アメの元版が出た1995年9月よりも前です。

また、キリスト教史の説明に、

教会の中でも、ローマ教会はイエスの弟子ペテロの創立になるため、「教会の中の教会」とされ、ローマ教会の最高指導者は教皇(法王)とよばれた。

とあり、こんな記述があったのかと驚きました。

赦し

キリスト教では赦しということばがよく使われます。イエス・キリストは、私たちにゆるしを齎す者なのです。

法制度の比喩として考えるとわかりやすい。私たちは罪人なので牢屋に入れられているが、保釈金を払うと赦されて、家に帰れる。その保釈金を用意してくださるのが神さま。

ブログを書くメリット

文章が上手くなること。考える技術、書く技術は一生の財産になる。

藤沢数希さんみたいに月間300万ページビューを誇るブログを書ければ、GoogleAdSenseだけで生活費が稼げるけれども、私はまだまだこれから。

キリスト教は不寛容ではない

一神教の信徒は不寛容とよく言われるけれども、それは私も辿った道で、経験の浅い信徒は神の御心よりも自分の意思決定規準を無意識に絶対化するから、不寛容と言われるのでしょう。

成熟したクリスチャンは、開かれた多元社会の一員として、他の価値観にも寛容です。

私の読書術

前書きや後書きを読んで、心に刺さらなそうなら読まない。徹底した自分のためのわがままな読書をする。

ほー、はー、へへーというステップで読む。装丁がりっばだと感心し、思いもよらない気づきを得、確かに今までの私は浅はかです、これから行動と意志を修正しますという3ステップ。アサーションについて扱った境界線(バウンダリーズ)という本への私の姿勢がそんな感じ。

本は、実用品であり、自分なりの読み方ができて初めて読む意味が得られる。自分なりの読み方ができない本は、難しすぎるから今読んでも意味がないか、一生読まなくていい本だ。

カネになる技術

2014年に、社長が、

「今後利益を生む技術は何だと思う?」

と尋ねてきて、私は特に深い考えもなしに、ARではないか、と答えました。

同僚は、拡張現実感なんて、私たちセカイカメラとかでさんざん遊び倒したじゃん、と言ってきて、私は反論できませんでした。

その後、拡張現実感をバリバリに使ったポケモンGOが出ました。枯れた技術の水平思考と言うやつですね。